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とあるオジサンの物語 第一話 ~プロローグ~ 

それは1900年 私が10歳の時に初めて作ったパンに始った

アメリカ南部の農村に生まれた私は、当時では当たり前のように

10歳から農場へ働きに出ていました。 父は私が6歳の時に他界し、

母は工場で働きながら、まだ幼い私の弟妹を育てていたので

家計を助けるのにそれは普通の事だった。 

母の手伝いをしていたりするうちに私は料理に興味を覚え、

農場と言う場所柄手に入り易かった材料で、初めてパンを焼き

母の勤め先に持って行ってあげました。


「まぁ、ハーランドどうしたの?」 「作ってみたんだけど、どうかな?」

同僚たちと私の焼いたパンを食べる姿を固唾をのんで見つめていると…

「おいしいじゃない!」 「ウンウン、ハーランドは才能あるわね」

この時の皆の笑顔を今でも覚えています。 皆それぞれ生きる道に

切っ掛けがあるとするならば、私はこの時に人を喜ばせる事を覚えたのでしょう。

私は14歳で学校を辞め、そのままなんとなく農場や市電などでバイトをし

それは家計に大きなシェアを占め始めたその頃、一つの事件が起こりました。

私はそんな状況の中で、バイトを解雇されてしまったのです。

理由は、私の仕事に身が入って無いとの事でした。

確かに、当時の私は何も目標も無く、自分の趣味の事などを

考えながら仕事していたと思います。そこを見抜かれました。

しかし困りました、母になんと言おう… 言い訳も思いつかぬまま家へ

「母さん、仕事を解雇されてしまったよ どうしよう」


「あら、一体どうしたの?」 私は正直に先に触れた事を伝えました。

「ねぇハーランド、次に何の仕事に就くにせよ、自分の出来る事をしなさい」

「仕事にはベストを尽くすのよ、それしかないわ」


私は涙し、うなずき、そしてこの言葉を肝に銘じた。

ベストを尽くす、この言葉がこの先の私をずっと支える事になる。

 
 本編へつづく・・・  天光

 続きはコチラ(2話です)      最終回へはコチラ(最終回へ飛びたい方、閲覧注意)



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とあるオジサンの物語 第二話 ~旅立ちの刻~ 

それからの私は、まず色々な職に就くために年齢を詐称し軍に入隊

キューバに赴き色々な事を学んだ。様々な資格を取り1年で除隊後は

様々な職業を渡り歩く事になる。どの職に就いてもその道を極めんと

励みながらも、これといった自分の道は定まらず、30代半ばまでの

間に40種に上る職を経験することになる。 鉄道の機関車修理工、

助手、保険外交員、船舶、セールスマンなどそれぞれで資格取得や

自分の中で満足がいくまで勤め上げたつもりである。 

極めたとは言い難いが、その後の私の発展に大いに役に立つ知識を

得た貴重な時間とも言えよう。 そんな中、30代も後半にさしかかろうかと

言う頃に一つの募集に巡り会った。 ガソリンスタンドの雇われ経営者の

募集だ。先に触れたように様々な職種を経験した私はそれなりに

経営学も学んでおり、取扱い資格も有る。やりがいもありそうなこの仕事に

魅力を感じ飛び込みました。 閑散とした田舎町で、車通りもそれほどなく

当初はこれもなんとかやっている状態でした。 日々の中で抱いた期待と

現実の狭間に揺れるその時に、脳裏に一つの言葉が浮かびます。


「仕事には、ベストを尽くすのよ」 頭を打ちつけられたような衝撃が

再びよぎります。 「今の私に何ができるのだろう?」出来る事をしよう!

そこで私はガソリンを入れてる間に少しでもお客さんを満足させたいと

窓ふきを始めました。 そうしてると… 
「お、なんだいここでは そんな事も

してくれるのかい?」 
「はい!こうしてても時間があるので出来る事を」

 当時のスタンドは、古い映画などでも見たことがあるような

ポツンと給油機が一つあり、周りは埃だらけ。

ただガソリンを入れる為にあったような場所であり

そのような事をする店は皆無だったのです。

そう、サービスステーション。 今でこそ当たり前なこの行為は

ここから広がったと言っても過言では無いでしょう。 さて、お客さんの評判も

良く、トラック運転手の口コミで数あるスタンドの中で私の店はいつも

繁盛するようになりました。 そんな中起きたのが1929年の世界大恐慌

数々の会社が倒れ、当然の事ながら旅行や物流も緩慢になり

なんとスタンドの母体会社がその煽りを受け倒産に追い込まれました。

これが私にとって初めて経験する大きな挫折です。スタンドの経営自体は

順調でも、私には独力で経営する基盤も無く、しかたなく店を

手放すことになりました。 ですが、ここで救いの手が現れます

私の経営を見聞きしたライバル会社から、なんと国道沿いのスタンドの

経営をしてみないかと持ちかけられたのです。 私は一も二もなく飛びつき

もう一度自分の手腕を振るうべく、再び立ち上がりました!

 次号へ続く・・・  天光

続きはこちら



とあるオジサンの物語 第三話 ~駆け抜けた時代~ 

時を経ずして再びガソリンスタンドの経営を始めた私に一つの転機が訪れる。

南北を走る国道沿いには長距離のトラックも多く、私はいつものように窓ふきを

していた所で声を掛けられた
 「なぁ、腹が減ってしょうがないんだが、何か

食べ物ないかね」 
ふむ、時間があるなら有るもので何か作ろうか」

「そいつは助かる!この辺は目的地に着くまでなんも店が無くてよぉ」 

私は自分用の賄いに用意してあった食材で、簡単な料理を作ってあげた。

「おぉぉ こいつは旨い! こんなとこで食事にありつけるとは思わなかった

ありがとよ!」 
久しぶりに料理を作る喜びを感じていた私でしたが、

そこで名案が浮かんだ。 そうだ!これは売りに出来ないのだろうか?

確かにこの地域には飲食店は無く、もっと簡単に出せる料理でも喜んで

貰える。 良し、やってみよう! 私はまず、スタンドの一角を改装し

テーブル席一つで、一日数食しか出来ないがカフェを始める事にした。

これが大盛況で、私は人を雇い給油を任せる一方で

支配人であり、調理師、そしてレジ係まで兼ねて日々奔走した。

運転手の口利きから客は増え続け、次第に一角では足りないので

道の反対側に規模を拡大、周辺で知らぬ者の居ない程の大店舗へと発展する。

元々飲食店の少ないこの地域の活性化と、料理への貢献として

1935年 この年私は、州知事より州の名を冠した名誉称号を贈られる。

時は高度成長時代、国道25号沿いは大いに栄えつつあり

同時に成長した我が店舗は142席のレストランへ成長していた。

49歳になった私は、最愛の妻ともこの頃一緒になり、人生最大の

隆盛を迎える。 時は1939年、休暇を満喫していた私に何やら騒がしい

呼び声がする 
 「ハーランドさん!大変だ、すぐきてくれ!」 

どうしたと言うのだろう。私は背中を押されるように私が誇る店へと向かって

愕然とする。




燃えている・・・ もはやその全てが紅蓮の炎に包まれ、手の施しようの

無い状態だった。 両手を頭に抱えうずくまる私 「終わりだ、何もかも」

私は繁盛で得た資金のほぼ全てを更なる発展へと投資してきた。

あれほどの店を再建する資金など無い。 私は終わったのだ・・・そう諦めたその時

私の周りには人だかりが出来ていた。 
「ハーランドさん、大変だったね」

「小さくても良い、またおやじの物が食いたいよ」 「皆も協力しよう!」

 何を私は迷っていたのだろう、こんなにも愛されてる店を、このままには出来ない

必ず再建してみせるぞ! 私は燃え上がる店に背を向け再び歩き出した


次回最終話に続く  天光


最終回へはコチラ

 



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