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とあるオジサンの物語 最終話 ~そして誕生へ~ 

時は1941年 あの火災から二年が経っていた。 私は店を再建すべく資金をあつめ

ついに再び147人収容できるレストランを再建した!

 当時のアメリカでは最大規模の店舗であり、

私のこの店は今でも博物館として歴史に名を残す事になる。

南部の家庭料理として我が店でも人気を誇っていた料理の一つに

フライドチキンが挙げられるが、

以前から悩む問題に調理に30分ほどの時間がかかり、

店でそんなに時間の取れないお客様が、楽しめないというネックが常にありました

そんな中テレビから流れる宣伝で出会ったのが【圧力釜】 そんなに早いのか

味はどうだろう? ふと目につき一つ購入してみたのである。

いつも通り味付けし、油を入れ待つこと10分。

出来上がったが… こんなに短時間で私の味がだせるのか? 何にせよ口を付ける 

「おぉ!これは旨い 同じ以上に味も染みていけるぞ!」 

すぐに圧力釜を大量に購入、店に導入して車で寄ってもすぐに食べられるチキンは

多くの客に支持を受けた。たった2年で再建の為に集めた資金の返済を完了する。

それからも、私は飽く事ない味への探求を続け10年

一つの料理への味付けにかけた

そしてついに納得の出来る一つの味へ到達する。 「これが私の味だ!」

この頃私は、全国の料理人たちが集まる晩餐で運命の出会いをするのである。

料理への拘りに対する私の想いに応えられる者は少なく

ただ一人私に話しかけてきた若者がいた。

ユタ州のピートハーマンという若き支配人である。

20代のハーマンと既に60を迎えようとする私は

年の差をはねのけるように夢中でお互いの料理論を語った。

それから2年、順調に見えた私の店にまた転機が訪れる事となる。

高速道路の建設計画の発表だ。

 これが完成すれば、元々通過点の一部でしかない

我が店の前面国道の交通量は激減する。 

どうしたらいいのか?何も解決策を見だせぬまま

ついに1955年 州間高速道路が開通した。車と人の流れは変わり、

徐々に我が店の経営を圧迫してくる。大きいだけに維持費だけで負債は相当に上り

ついにこの年私は店を手放さなければ無くなった。



 隆盛を極めたが、65才にして私は再び全てを失う事になる。 


「今度こそおしまいだ・・どうする事も出来ない」

うなだれる私の肩に手を掛け、最愛の妻がその一言を告げるのである。



「ねぇあなた、貴方に出来る事はもう無いの? まだあるんじゃない?」


母に言われた言葉を思い出すのである。私はベストを尽くしたのか?

まだ出来る事があるんじゃないのか?私に出来る事… 全てしたつもりだ。

何がある? 私に何が・・・ !私に人に負けない自信があるものはこの味しかない。 

店舗は無いのだ、この味を売るしかない。 思い立った私は、

自慢の圧力釜とスパイスを乗せ、妻と二人で全国のレストランの門を叩く旅に出る。

しかし… 「どうか私の味を売ってください、絶対に自信があります!」


「何言ってるんだあんたは?うちにはうちの味がある。人の作った味なんか買わん!」

そうなのだ、当時はまだこのような考えは薄く、皆独自の味を守る事が当たり前だった。

今でいうフランチャイズ制度である。未だどこの店にも置いて貰えない、これでは話にならない。

そこで私は一人の味の探求者を思い出す。ピートなら…彼なら解ってくれるかも知れない。


「やぁハーランドさん久しぶり、一体どうしたんだぃ?」 私は言い出せぬまま時は過ぎ、

どこかへ食事に出る話になった。ここだ!今しかない「なぁピート、私に作らせて貰えないか?」

ピートが予約していた晩餐を蹴ってでも、私の腕を見せるのは今しかない。

私は渾身を込めとびっきりのチキンを作った 「さぁ これが私の自慢のチキンだ どうぞ」

そこにはピート夫妻と我妻も居た。食べ出すと・・・
「まぁ美味しい!」「うん、こんな味は初めてだ!」

喜ぶピートにここで話を切り出す。「この味のチキンを、店に置いてはもらえないだろうか?」

そして、私の考えと今の経緯を説明した 
「それは・・・確かに誰も受け入れないだろう、だがこの味なら」

「良し乗った!、私がフランチャイズ第一号になろう!」 
「おぉ 良いのか、ありがとう!」

私はその後も地道に活動を続け、宣伝をして回った。 そんな折に、何故か急にフランチャイズに

興味を示す手紙が多くなってきたのだ。何故だろう?といぶかしむ私にピートから一本の電話が入る


「ハーランドさん、大変なんだ、店に来てくれ!」 どうしたというのであろう? 私は車を飛ばしユタ州へ

店に入った私に飛び込んできたのは・・・ 店を埋め尽くす程の人の笑顔、そう、私のチキンを食べ

店中が笑顔で溢れていた 
「お母さん美味しいよ!」 「むぅこんな味は食べたことが無い」

「この通りさ、あまりの評判に店も大繁盛! ありがとう!これが売り上げの1%だ、受け取ってくれ」

「それでなんだが、私なりにこの料理に名前を付けてみたんだ。あなたの土地から生まれたこの味が

皆に伝わるように。もう看板にもしちゃってからで申し訳ないのだが」


私が見上げると、店の壁の上の方に、光り輝く文字でこう書いてあった










Kentucky Fried Chiken

そう、この時初めてこの名前は生まれた。 私がケンタッキー州より贈られたカーネル(大佐)

の称号を手にしてたあことも有り、私と土地にちなんで ポートハーマンが名付け親となったこの名前が

私は凄く気に入った。一つの冠名を手にした我がチキンは瞬く間に周囲に知れ渡り、

こぞってフランチャイズの申し込みが殺到した。 その後のたった5年で400店舗、

10年で600店舗を数える程成長した

 皆が知るカーネルサンダースとは私の事である。

その後の事はまたいずれ語ろう。 農村から始まった私の生涯の言葉は 

「仕事にはベストを尽くせ」 ハーランド・ディビット・サンダースより

 


これは事実を元にしたフィクションであり、
実際の記録とは異なる点がある事を承知して
お読みください。また、関係各者様には
我らの愛するケンタをより多くの方に
知ってもらいたい為に筆した記事として
些少の事は多めに見て貰いたく存じます。 

2013 4月 金剛院天光


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It's great to find an expert who can explain things so well
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